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平野恵一 〜阪神タイガース補強選手列伝〜

平野恵一選手のデータ
内野手(二塁手・遊撃手)・外野手 2001年ドラフト自由枠
<経歴>
東海大学
オリックス(2002〜2007)
阪神タイガース(2008〜2012)
オリックス(2013〜2015)

平野恵一選手のプロ野球通算成績
年度 試合 打席 安打 本塁打 打点 四球 三振 盗塁 打率 出塁率
通算 1260 4887 1184 18 263 324 622 60 279 337


★阪神入団の経緯・・・トレード
           ※濱中おさむ・吉野誠と平野・阿部健太のトレード


★平野選手加入の報を聞いたときの管理人の感想
「濱中・・・あぁ濱中・・・平野もいい選手やけど阪神のロマン濱中が・・・(涙)」




阪神にやって来る前の平野選手

阪神に来る直前3年間の平野内野手の成績
年度 球団 試合 打席 安打 本塁打 打点 四球 三振 盗塁 打率 出塁率
05 オリ 118 457 113 33 34 66 285 347
06 オリ 33 111 23 16 235 276
07 オリ 58 176 33 11 13 36 216 287

小兵だが大学時代から非常に評価の高かった選手。特に遊撃守備での評価が高く「牛若丸」と呼ばれたりしていた。170センチに満たない小兵にも関わらず自由枠でのオリックス入団を果たす。ただし、入団以降は評価されたはずの守備で苦しむことになってしまい、3年目にレギュラーをとったのは遊撃ではなく二塁でだった。高い身体能力を持っていたが、そのプレイスタイルゆえ(フェンス激突とか)か怪我に苦しんだ印象。また、二塁と外野双方を高いレベルでこなせる能力が逆にマイナスとなってしまった印象もある。

トレードの時だが、トレードの弾となった濱中に(阪神において)そこまで大きな期待ができないのは分かっていた。でも濱中というのは阪神ファン(管理人)にとってけっこう特別な意味がある名前だった。だから平野の能力がどうとか、損得がどうとかと言うことではなく、けっこうショックだった。




阪神にやって来た後の平野選手

平野恵一選手 年度別成績(阪神時代)
年度 球団 試合 打席 安打 本塁打 打点 四球 三振 盗塁 打率 出塁率
08 阪神 115 452 96 21 35 62 263 333
09 阪神 132 462 109 18 22 53 270 318
10 阪神 139 593 172 24 34 55 350 399
11 阪神 142 615 160 29 33 67 295 341
12 阪神 134 519 112 24 42 61 245 313


選手として最盛期の時期を阪神で過ごす!まさに大成功トレード!ちょっとクセのあるアゴ系職人的選手!


★阪神補強選手列伝的テキトー選手評価・・・B


レギュラー争いのライバルは藤本、関本あたりだったが、関本が三塁にまわる場合、平野が藤本に勝利するのは余裕だろうと考えていた。シーズン開始前は「打撃 平野>藤本」「走塁 平野>藤本」「バント 平野>藤本」「守備 平野=藤本」とうい感じで見ていた。平野が怪我でもしない限り(怪我で離脱する可能性は大いにあると思っていた)、藤本とは格が違うという印象だった。

予測通り1年目の2008年シーズン、平野はあっさりレギュラーを奪った。赤星との1、2番コンビ(+新井)は阪神躍進の原動力となり、「こんな1、2番コンビが見たかったんじゃ!」と思わせる出来だった(それまでの藤本が打撃能力がひどかったというのもあるだろうが・・・バントもできないし。関本は2番として悪くなかったけど鈍足のイメージが強すぎる・・・)2008年は最終的には優勝を逃したし、平野の打率も263で終わったが数字以上の好印象を残したのは間違いない。

阪神に5年在籍したが基本的には怪我での長期離脱もなくずっと二塁のレギュラー格であった(センターが守れる選手だけにチーム事情で時たま外野を守っていることもあったが・・)。二塁手としては広い守備範囲とアクロバチックなプレイで熟練期に入りつつあった遊撃・鳥谷と鉄壁の二遊間を構成、この時期の二遊間は近年の阪神二遊間で一番の守備力だったと思う。そこまでは期待されていなかった打撃でも2010年には(なんと!)350、飛ばないボールになった2011年にも295を記録、2年連続でベストナインとゴールデンクラブをかっさらった。また、身体能力の高さは「さすがこの身長で自由枠に入れた選手やな」と思わせるものがあった、体のバネ、走力(でも盗塁はちょっと下手なの)が極めて高く、肩も悪くなかった。特に二塁の守備時に身体能力の高さを感じさせた。

ただし、悪いタイミングでFA権を取得して宣言(自身の成績が落ちたタイミング)。前年(2011年)にでも取得していれば巨人などの強豪球団が獲得に動いた可能性もあったが(原監督の後輩やったしなぁ・・・)、成績が低下、しかもそれなりの高年棒の平野を獲得する球団はなかなか現れなかった。最終的には古巣オリックスが獲得してくれたから良かったが・・・。それでもあのタイミングでのFA宣言というのは、自身より力が劣るであろう上本の将来を見据えての二塁起用、メジャー帰りの西岡(鳥谷遊撃だから二塁で起用するしかない)の獲得などがあって自身のプライドが許さなかったんだろうなぁと思っている。平野は誇り高い職人系の選手だったから。

オリックス復帰3年後36歳で引退。能力的にはまだまだやれそうだったが、赤星みたいに小柄な体で精一杯のプレーをしてきたツケがきてるんだろうか・・・。平野退団後、西岡の衰えた守備力や上本のエラーを見ながら平野の有難みを感じる日々を送っている(涙)

2015年10月9日作成