阪神タイガース補強選手列伝ではから巨人から移籍してきた広澤克実選手について管理人でぶぶがテキトーに考察します。
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広沢克己 〜阪神タイガース補強選手列伝〜
広沢克己選手のデータ
一塁手(外野手)
右投げ右打ち 1984年ドラフト1位
<経歴>
明治大学
ヤクルトスワローズ(1985〜1994)
巨人(1995〜1999)
阪神タイガース(2000〜2003)
年度 | 試合 | 打席 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 四球 | 三振 | 盗塁 | 打率 | 出塁率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
通算 | 1893 | 7065 | 1736 | 306 | 985 | 660 | 1529 | 78 | 275 | 345 |
★阪神入団の経緯・・・巨人自由契約後に入団
※過剰戦力の巨人を自由契約後に貧弱戦力の阪神が獲得
★広沢選手加入の報を聞いたときの管理人の感想
「阪神に合うのか?・・・それにしても大豊信頼されてねぇなぁ(涙)」
阪神にやって来る前の広沢選手
年度 | 球団 | 試合 | 打席 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 四球 | 三振 | 盗塁 | 打率 | 出塁率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
97 | 巨人 | 126 | 477 | 120 | 22 | 67 | 43 | 115 | 2 | 280 | 349 |
98 | 巨人 | 73 | 163 | 49 | 9 | 25 | 25 | 48 | 1 | 301 | 393 |
99 | 巨人 | 16 | 16 | 2 | 1 | 1 | 2 | 6 | 0 | 143 | 250 |
説明不要の大打者である。特にヤクルト黄金時代の主軸打者、爆発的な成績を残していたわけではないが長距離砲と安定した成績を残して1180試合連続出場を記録した。ヤクルト時代に打点王も2度獲得。
FAで巨人に移籍したが長距離砲内野手を乱獲していた巨人にあっては外野を守ることが多くなっていく(本来は一塁手)。しかし、一塁には落合、清原、石井浩、外野には松井、清水、高橋由伸などのライバルがおり1軍での起用が徐々に減少。最後は代打くらいしか出番がなくなっていった。これは加齢によって広沢の力が落ちたということや故障などの要因もあるだろうが、一塁においては清原に打者としての格で劣り(能力面で完全に劣っていたというわけではないと思うが・・・)、外野においては守備力の欠如と他の面子の豪華さ(特に98年以降の松井、高橋、清水の外野に入り込む余地はほとんどないよね)などが試合に出れなくなった主原因だと思う。
「広沢=阪神」というイメージが全くなかったので、阪神入団が決まった時はかなりとまどいがあった。また、前年後半に爆発した大豊(広沢と同じ一塁手)がさほど信頼されていないんだろうなとも感じた。また、活躍するとは思っていなかった。
阪神にやって来た後の広沢選手
年度 | 球団 | 試合 | 打席 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 四球 | 三振 | 盗塁 | 打率 | 出塁率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
00 | 阪神 | 48 | 125 | 25 | 5 | 16 | 10 | 37 | 1 | 217 | 280 |
01 | 阪神 | 95 | 296 | 76 | 12 | 46 | 23 | 66 | 1 | 284 | 339 |
02 | 阪神 | 58 | 80 | 19 | 1 | 23 | 12 | 15 | 0 | 288 | 400 |
03 | 阪神 | 37 | 68 | 19 | 4 | 34 | 6 | 18 | 0 | 306 | 368 |
最初はダメダメだったが、年を追うごとに打率が上昇、お立ち台で六甲颪熱唱、18年ぶりの優勝決定試合ではスタメン4番、日本シリーズのプロ最終打席ではホームラン・・・阪神で放った安打はわずか139本ながら存在感抜群(笑)
★阪神補強選手列伝的テキトー選手評価・・・C
入団1年目は打率低いわ、長打力もないわで「ノム〜かつての愛弟子やからって贔屓すんなよ〜まだ長打力ある分大豊の方がマシじゃん!」とテレビの前で唸っていた。しかし、大豊は放出され広沢の契約は更新される・・・・げんなりした気分になったが翌年は戦力と言える働きを見せる、試合勘が戻ったということだったのだろうか。圧倒的な長打力や存在感はないものの、ベテランらしい勝負強さと広角打法は見事だった。特に右方向に伸びる打球は「これぞ広沢!」という感じだった。
星野政権下での役割は代打となり、スタメン出場する機会はかなり限定されたが、試合に出た際にはしぶとく活躍し打席での存在感でいえば「代打の切り札」と言われた八木よりも代打での存在感があったような気がする。
阪神では在籍4年、規定打席に達した年はなく、リーグ戦の通算安打も139本、とても「活躍した」と言える成績ではない。でもなぜかお立ち台で六甲颪を熱唱したり(あの日以降阪神の選手として認知されたような気がする)、優勝した年には時々4番打者として出場したり(星野流ベテラン掌握術か!?)、日本シリーズ最終戦の9回2アウト プロ最終打席で泣きながらホームランを打ったりと何かと絵になるシーンが多かった。ヤクルトで全てを手に入れ、球界最高峰の巨人でもプレイした時点で十分な選手生活だったと思うが、阪神に最後の一花を咲かせにきて見事に咲かせたとも言えるだろう。満足な選手生活だったのではないだろうか。
何となく阪神OBっぽい感じになってしまっているが、古巣ヤクルトで指導者はやらないのかな?