阪神タイガース補強選手列伝ではから日本ハムからFAでやってきた片岡篤史内野手について管理人でぶぶが適当に考察しております。
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片岡篤史 〜阪神タイガース補強選手列伝〜
片岡篤史選手のデータ
三塁手(一塁手)
右投げ左打ち 1991年ドラフト2位
<経歴>
同志社大学
日本ハムファイターズ(1992〜2001)
阪神タイガース(2002〜2006)
年度 | 試合 | 打席 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 四球 | 三振 | 盗塁 | 打率 | 出塁率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
通算 | 1569 | 6180 | 1425 | 164 | 717 | 800 | 1099 | 35 | 270 | 367 |
★阪神入団の経緯・・・FA(フリーエージェント)
※日本ハムからFAして阪神に入団
★片岡選手加入の報を聞いたときの管理人の感想
「大物や、ついに大物が来よった!甲子園やからホームランは減るかもしれんが打率280〜300 90打点くらいは期待できるでえ!」
阪神にやって来る前の片岡選手
年度 | 球団 | 試合 | 打席 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 四球 | 三振 | 盗塁 | 打率 | 出塁率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
99 | ハム | 115 | 489 | 116 | 15 | 63 | 61 | 90 | 1 | 274 | 364 |
00 | ハム | 135 | 621 | 148 | 21 | 97 | 101 | 80 | 9 | 290 | 406 |
01 | ハム | 106 | 463 | 102 | 16 | 62 | 57 | 62 | 1 | 254 | 346 |
日本ハムビッグバン打線の3番を務め、90年台後半のパ・リーグを代表する打者であったことは間違いない。ただしよく言われるような左のスラッガーというよりは長打力のある左の好打者といったほうが実際に近いかもしれない。首位打者やホームラン王、打点王といった打撃主要タイトルとは無縁だったが、毎年安定して3割前後の打率を残す上、選球眼が非常によく四球数が多く出塁率も高かった、これにある程度の長打力も加わったため数字以上の存在感でパを代表する打者として認知されたのであろう。また、守備も堅実で3年連続でゴールデンクラブを獲得、選手会長としてチームをまとめるなど、能力的にも人格的にも日本ハムの中心選手であった。
FA宣言時だが「片岡を獲得して大外れということはないだろう」と思っていた。(本拠地甲子園で左打者ということもあり)ホームランに関しては正直20本も打てないだろうが、打率は3割近くで打点と四球を稼ぎ、3番打者でチームの軸として機能するのではないか思っていた。管理人の適当な予測では最低でも打率280 ホームラン10本 打点80 四球80くらいは期待できるのではないかと考えおり、また、人格的にも優れていると聞いていたのでプレイ以外でもチームに良い影響を与えるのではと思った。
唯一の不安はFA年(すなわち2001年)に成績を落としており「まさかこれが劣化の始まりでは」という点であるが、32歳とそこまで高齢ではなく、デブのスラッガーなんかじゃなく守備力の高い三塁手であったのでそこまで心配していなかった。しかし・・・・(涙)
阪神にやって来た後の片岡選手
年度 | 球団 | 試合 | 打席 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 四球 | 三振 | 盗塁 | 打率 | 出塁率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
02 | 阪神 | 120 | 489 | 97 | 11 | 46 | 53 | 110 | 2 | 228 | 317 |
03 | 阪神 | 110 | 373 | 99 | 12 | 55 | 35 | 86 | 1 | 296 | 366 |
04 | 阪神 | 46 | 106 | 18 | 3 | 7 | 16 | 24 | 0 | 205 | 340 |
05 | 阪神 | 50 | 73 | 12 | 1 | 7 | 15 | 17 | 0 | 211 | 370 |
06 | 阪神 | 50 | 101 | 15 | 1 | 7 | 7 | 22 | 0 | 165 | 230 |
檜風呂と揶揄されまともな成績を残したのは2003年だけ(涙) 阪神で片岡に期待された役割は金本が全て果たすことに・・・(涙)
★阪神補強選手列伝的テキトー選手評価・・・D
片岡に対しては当時のチーム状況もあり、現在の阪神で考えられないほどの阪神ファンからの期待がのしかかっていた。開幕から3番打者を務めるが日本ハム時代に見せていた勝負強さは微塵も感じられず、ホームランはわずか11本、打率は228と信じられない成績を残してしまう。「大豊より打率低いやんけ、長打力ある分あいつのほうがマシじゃ!」「若い嫁さんもろて腰使いすぎて壊したんちゃうか!」「ポンコツやんけっ!」「オマエの得点圏打率ナンボかわかっとんかっ!」期待が大きかっただけにその裏返しで批判も極大であった、挙句の果てには応援歌で「実家は檜風呂〜♪」と歌われる始末。檜風呂くらいほっとけや!と片岡も思ったに違いない。
翌2003年には伊良部、下柳、金本、野口ら片岡以上に濃すぎる面子が入団してきたため片岡一人にのしかかっていたプレッシャーが拡散、そのためなのかセ・リーグに慣れたためなのかは不明だが何とか面目を保てるだけの数字を残した。ただし、4番を打ったこともあったとはいえ規定打席に達せず打点は55。チームの主軸というよりはあくまで脇役的立場だった(2003年チームの主軸は今岡、赤星、金本の1番から3番だったと思う)。主軸とは言えずともそれなりの「見れる成績」を残し優勝にも貢献したとあって片岡としてはホッとしたシーズンだっただろう。
その後の3年間は相次ぐ故障、加齢による衰え、他の野手(今岡、関本ら)の成長によって片岡のレギュラーポジションはなくなる。主な仕事場は代打となったが、代打としてもかなりの存在感を発揮。しかし年棒2億円近いFA砲が代打専門では物足りなかった。阪神には5年在籍したが活躍したと言えるのは結局2003年だけ、それも真の主軸と言えるような働きではなかった。唯一活躍した年に優勝したことによって阪神ファンからのマイナスイメージは払しょくされたかもしれないが「成功したFA移籍」とはとても言い難い。5年12億円・・・かなり高かったなぁ。
阪神時代の片岡の印象だが、年齢のためか故障のためかは分からないが下半身の粘りがなくなっているように感じられ、パ・リーグ時代にはあれほど頼もしかったあの奇妙なバッティングフォームが不細工で脆そうなフォームにしか見えなくなっていた。守備に関してもゴールデンクラブを3年連続で獲得したとは思えないほど劣化していた。優勝年には活躍したが、チームの主軸というほどの信頼感はなく主軸を補佐する補助戦力あたりが精いっぱいだろうなと思った。それでも流石に翌年以降いきなりあそこまで落ち込むとは思いも及ばなかったが・・・。
地元関西に帰ってきて、(恐らく)少年時代にファンだった阪神に入団、優勝も経験し、優勝メンバーの一人として引退後もコーチの口や解説の仕事もある。傍から見れば幸せなのかもしれないけど、片岡本人はどう思っているのだろうか。「もしFA宣言せずに日本ハムに残っていれば」と思うことはないのだろうか。衰えの原因には故障もあるだろうから、日本ハムに残っていても阪神に移籍した場合と同じような成績しか残せなかった可能性は十分ある。しかし、管理人は片岡が日本ハムに残っていた場合、2000本安打を達成して日本ハムのレジェンドとして引退し、監督候補の一人という立場になっていたような気がしてならない。