阪神タイガース補強選手列伝ではメジャー帰りの伊良部秀輝投手について管理人でぶぶがテキトーに考察しております。
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伊良部秀輝 〜阪神タイガース補強選手列伝〜
伊良部秀輝投手のデータ
右投げ右打ち 1987年ドラフト1位
<経歴>
尽誠学園
千葉ロッテマリーンズ(1988〜1996)
メジャーリーグ(1997〜2002、ヤンキース・エクスポズ・レンジャーズ)
阪神タイガース(2003〜2004)
年度 | 試合 | 先発 | 勝ち | 負け | セーブ | 投球回 | 奪三振 | 与四球 | 防御率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
通算 | 273 | 159 | 72 | 69 | 11 | 1286.1 | 1282 | 558 | 3.55 |
★阪神入団の経緯・・・C
※いわゆるメジャー帰りの選手
★伊良部選手加入の報を聞いたときの管理人の感想
「マジかよっ・・あの伊良部かよっ!・・・けっこう問題児って聞くけど大丈夫か・・・まあ監督星野組長やから全く問題ないか・・」
阪神にやって来る前の伊良部投手
年度 | 球団 | 試合 | 先発 | 勝ち | 負け | セーブ | 投球回 | 奪三振 | 与四球 | 防御率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
00 | 米 | 11 | 11 | 2 | 5 | 0 | 54.2 | 42 | 14 | 7.24 |
01 | 米 | 3 | 3 | 0 | 2 | 0 | 16.2 | 18 | 3 | 4.86 |
02 | 米 | 38 | 2 | 3 | 8 | 16 | 47.0 | 30 | 16 | 5.74 |
言わずと知れた90年代パ・リーグを代表する投手。最速158キロのストレートで西武・清原と名勝負を繰り広げた。93年あたりから先発投手として覚醒し出して充実期であった96年オフにメジャーリーグヤンキースに(強引に)移籍。メジャーでは全く活躍できなかったわけではないが、期待値から考えればメジャー通算34勝35敗16セーブ防御率5.15という成績は期待外れと言わざるを得ない。よく使われる言葉で言うなら「記録より記憶に残る選手」であった。
その剛球以上に個性的(ハチャメチャ)な性格、言動が有名。グラブ帽子スタンド投げ入れ事件、日本の報道陣に対する「イナゴ」発言、観客に向かってツバ吐き事件、遠征先で酒飲みすぎて意識不明で病院搬送事件、クラブハウス破壊事件などなど枚挙に暇がない(涙)
「伊良部クラゲ」「和製ノーラン・ライアン」「球界のミケランジェロ」「太ったヒキガエル」などつけられた異名、渾名も秀逸(涙)
メジャーから日本球界復帰、しかも阪神入団の報を聞いた時には、この球界屈指の難物を果たして上手く取り扱えるのかと思ったものだが、阪神史上最も濃いと思われる首脳陣(監督星野組長、以下コーチ陣島野育夫、田淵幸一、佐藤義則、西本聖、達川光男、オマリー、岡田彰布・・・・マジで濃すぎる・・涙)、選手も阪神史上屈指の濃い面子(ヒゲムーア、アウトロー川尻、奇人井川、俺たちの藪さん、見た目からしてヤバい下柳、馬面野口、神様八木、檜風呂片岡、仏様広沢、鉄人金本、メシアアリアス、学級委員長矢野・・・これも濃すぎる・・あの頃は楽しかったなぁ・・・)だったので、伊良部は普通に溶け込んでおり違和感はほとんどなかった(笑)
阪神にやって来た後の伊良部選手
年度 | 球団 | 試合 | 先発 | 勝ち | 負け | セーブ | 投球回 | 奪三振 | 与四球 | 防御率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
03 | 阪神 | 27 | 27 | 13 | 8 | 0 | 173.0 | 164 | 47 | 3.85 |
04 | 阪神 | 3 | 3 | 0 | 2 | 0 | 11.2 | 7 | 4 | 13.11 |
球界のミケランジェロに恥じぬ芸術的な投球を披露、1年だけだったが記憶に刻まれる活躍だった。話に聞く暴虐なイメージとは違い投球内容も性格も繊細だなと感じた。
★阪神補強選手列伝的テキトー選手評価・・・C
伊良部抑え構想もあったようだが結局は先発投手として起用された。特にシーズン前半戦はエース級の活躍、豪球とフォークで牛耳るピッチングではなく、ストライクゾーンの高低、内角外角、緩急を自由自在に操る繊細なピッチングを見せる。かつて自身をミケランジェロと評したことがあったようだが、その名に恥じぬ芸術家の様なピッチングだった。管理人の中で伊良部のイメージは一変した。
ただし、後半戦は対戦相手が慣れたり弱点を発見したのか、はたまた伊良部の体力が尽きたのかわからないが(阪神入団前3年間はシーズン完走できていなかった)思うような投球ができなくなっていく。日本シリーズでも2試合に登板したがいずれも敗戦投手になる。翌シーズンも阪神でプレーしたがわずか3試合の登板に終わってしまい、そのオフに自由契約となった。
セットポジションの弱点が露呈し機動力に対抗できなくなった、故障等、伊良部のあっけない凋落の原因はいろいろと言われるが、個人的には伊良部を御すことができる指導者がいなくなったのが原因のような気がしている、星野監督が辞任し、後を受けた新人監督の岡田監督では伊良部の手綱を捌ききれなかったのかもしれない(岡田監督自身もシーズン前から伊良部を戦力構想外と見ていたフシがあった)。まあこれは全くの穿った想像で、同じく扱い辛そうなタイプながら成績を残し長期間にわたり阪神でプレーした下柳もいるので、単純に能力的に通用しなくなっただけかもしれないが・・・。
阪神退団後は第一線でプレーすることはなく、例の悲劇が起きる。ここでは説明しないが悲しいニュースだった。その濃すぎるキャラで下柳と一緒に2軍の投手コーチをしてくれないかなぁなどと適当に思っていたが永久に実現しない話になってしまった。