阪神タイガース補強選手列伝では中日自由契約後に阪神に入団した高橋光信一塁手について阪神好き管理人でぶぶがゆるーく考察しております。
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高橋光信 〜阪神タイガース補強選手列伝〜
高橋光信選手のデータ
一塁手
右投げ右打ち 1997年ドラフト6位
<経歴>
国際武道大学
中日ドラゴンズ(1998〜2006)
阪神タイガース(2007〜2010)
年度 | 試合 | 打席 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 四球 | 三振 | 盗塁 | 打率 | 出塁率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
通算 | 398 | 553 | 129 | 21 | 76 | 29 | 80 | 1 | 253 | 301 |
★阪神入団の経緯・・・テスト入団
※中日自由契約後に阪神秋季キャンプに参加
★高橋選手加入の報を聞いたときの管理人の感想
「中日が高橋クビにする意味がわからん! 拾い物やからとっとけ、とっとけ!」
阪神にやって来る前の高橋選手
年度 | 球団 | 試合 | 打席 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 四球 | 三振 | 盗塁 | 打率 | 出塁率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
04 | 中日 | 35 | 35 | 8 | 3 | 9 | 6 | 6 | 0 | 296 | 457 |
05 | 中日 | 72 | 80 | 17 | 3 | 14 | 7 | 14 | 0 | 246 | 329 |
06 | 中日 | 67 | 90 | 21 | 3 | 12 | 3 | 15 | 0 | 244 | 267 |
大学時代は大学日本代表の4番を打つなど大学球界屈指の強打者だったが、一塁という守備位置が災いしてかドラフトは6位指名。中日時代は打撃は2軍レベルではなかったが、外国人や日本人強打者たち(山崎ら)とのポジション争いがある一塁手だったためか、なかなか出番を得ることができなかった。
しかし、2004年に落合監督が就任すると「右の4番候補の一人」とされ、レギュラーの座こそつかめなかったものの右の代打の切り札として起用される。この年から3年間は主力選手とまではいえないものの、貴重な1軍戦力として活躍。それだけに2006年シーズンオフの戦力外通告には他球団ファンながらびっくりした(落合監督ならではで、他の監督なら戦力外通告を受けていなかったと思われる)。
打者としての力量は承知していたので、阪神の獲得表明には大賛成であった。12球団トライアウトを受験しているが、恐らく受験前から裏で阪神入団の話がまとまっていたのではないだろうか。
阪神にやって来た後の高橋選手
年度 | 球団 | 試合 | 打席 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 四球 | 三振 | 盗塁 | 打率 | 出塁率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
07 | 阪神 | 37 | 48 | 11 | 1 | 4 | 3 | 7 | 0 | 250 | 313 |
08 | 阪神 | 68 | 115 | 34 | 4 | 15 | 6 | 16 | 0 | 315 | 348 |
09 | 阪神 | 46 | 45 | 10 | 1 | 10 | 2 | 3 | 0 | 244 | 267 |
10 | 阪神 | 7 | 7 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 000 | 000 |
右の代打、新井不在時の一塁手として十分な活躍!一塁専門というのが何とももったいない選手だった
★阪神補強選手列伝的テキトー選手評価・・・C
当時中日とはライバル関係にあったため高橋のことはよく見ており、その実力の程は知っていたので、ある程度は活躍するだろうと思っていた。そして、だいたいその予想通りに活躍した。主力とは言えないものの(もともと誰もレギュラーとしての活躍は期待していなかった)、右の代打、主力不在時のスタメンとして中日時代同様、いやそれを上回る活躍を見せていた。
大きく構えた懐の深そうな打撃フォームでそれなりのミート力と確実性がある打撃はなかなかのものだった。もしポジションが一塁手でなければレギュラーを狙えた選手だろうし、そもそも中日が手放さなかっただろう。ただし、レギュラー一塁手としては迫力や威圧感がやや不足していた上に、鈍足、守備がイマイチという点、さらに中日、阪神という外国人スラッガーやFA砲が一塁に君臨していた球団に在籍していたためレギュラー獲得が厳しかったと言えよう。
北京オリンピックの新井不在時には代理一塁手として活躍。打順は5番、6番あたりが収まりがよかった。
新井、ブラセルなど強打の内野手の充実や城島という右の強打者の加入などによって戦力としての必要性が薄れたため、また35歳という年齢もあってか2010年限りで引退。引退後は阪神で打撃コーチを務めたりしている。
プロで残した打撃成績自体は大したことはなかったが、あくまでポジションの関係で起用が少なかっただけで、その打撃技術はプロの中でも高いレベルにあったのではないかと思う。