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阿部健太 〜阪神タイガース補強選手列伝〜

阿部健太投手のデータ
右投げ左打ち 2002年ドラフト4位
<経歴>
松山商業
大阪近鉄バファローズ(2003〜2004)
オリックス(2005〜2007)
阪神タイガース(2008〜2011)
東京ヤクルトスワローズ(2012〜2014)

阿部健太選手のプロ野球通算成績
年度 試合 先発 勝ち 負け セーブ 投球回 奪三振 与四球 防御率
通算 110 175.2 133 50 4.51


★阪神入団の経緯・・・トレード
           ※阿部・平野と濱中・吉野の2対2のトレード


★阿部選手加入の報を聞いたときの管理人の感想
「あの阿部ケンかぁ〜プロ入り直後はいい感じやったけどその後は噂聞かへんなぁ・・・まぁでも悪くないんちゃうかな!」




阪神にやって来る前の阿部選手

阪神に来る直前3年間の阿部投手の成績
年度 球団 試合 先発 勝ち 負け セーブ 投球回 奪三振 与四球 防御率
05 オリ 5.0 7.20
06 オリ 6.1 4.26
07 オリ 1軍出場なし

高校時代はMax147キロで甲子園でも活躍した有名投手。近鉄が2002年のドラフト4位で獲得した時には「ええ選手とりよったな」と思ったものだった。高卒1年目から登板機会を得て、シーズン終盤に先発として3試合に登板、2勝をあげ防御率2.16を記録するなど予想以上の活躍を見せる。細身の体で岩隈そっくりの投球フォーム(2段モーションっぽいやつ)から快速球を投げ込み、当然の如く「岩隈2世」と呼ばれた。しかし、その後は伸び悩み阪神にトレードされるまで特筆すべき成績を残していなかった。ちなみにオリックスへの移籍は球界再編時の分配ドラフトによる。

2対2のトレードで阪神に移籍したが、トレードのメインは濱中と平野で吉野と阿部はおまけと言ったところか。自身喪失気味の吉野は、岡田監督との相性が悪そうだったのでトレードするのは賛成だった。トレード相手が実質的に阿部というのは「まあ妥当かな」と感じた。ただ、近鉄1年目以降の活躍を聞いていなかったのでどんな状態かは気になったが・・・。




阪神にやって来た後の阿部選手

阿部健太投手 年度別成績(阪神時代)
年度 球団 試合 先発 勝ち 負け セーブ 投球回 奪三振 与四球 防御率
08 阪神 32 51.2 34 2.96
09 阪神 19 33.0 24 13 3.27
10 阪神 1軍出場なし
11 阪神 1軍出場なし


久保コーチお気に入りの投手。良く言えば「まとまりがあるタイプ」で悪く言えば「特徴がないタイプ」(涙) 出番はローテの谷間か敗戦処理か・・・


★阪神補強選手列伝的テキトー選手評価・・・D


高校時代から注目していた選手で心情的には凄く応援していた投手。移籍1年目から積極的に起用されそこそこの成績を残す。32試合51イニングで防御率2.96はなかなかの数字だが、数字ほどのインパクトはなかった。速球も時折140キロ台後半を記録したが、基本的には140キロ前後でそこまでの球威はなく、変化球も普通という印象。若くてある程度のまとまりがあったためイニングイーター的な使われ方をしていたが、その後飛躍して先発ローテーションに入ったり、中継ぎ勝ちパターンに食い込めるとは思えなかった。

翌2009年も1年目と同じような成績で、2010年、2011年の2年間は1軍登板ゼロ。管理人の感覚では、ローテーションの谷間の先発、敗戦処理などの役割が精一杯でそれ以上の役割を望むのは酷だろうなというところ。ちなみに久保コーチ(近鉄時代にも指導)のお気に入りで、阿部が積極的に起用されたのは久保コーチの一押しがあったとの噂も・・・(岡田元監督の著書による)。

阪神戦力外後はトライアウトを経て、投手に苦しむヤクルトに入団。ヤクルトには3年間在籍したが役回りは阪神時代と大して変わらず敗戦処理用の投手という感じであった。2014年にはテレビで阪神−ヤクルト戦を見ていると阿部が出てきて、「懐かしいなぁ」と思っていると阪神打線に滅多打ちにされていた(涙)その日の直球は130キロ台で「こりゃもう厳しいな」と思っていたら、2014年限りで引退された(涙)

<阪神時代の阿部投手の2軍成績>
2008年  4試合 2勝 0敗 0セーブ 投球回10.0 奪三振4  防御率5.40
2009年  8試合 1勝 2敗 0セーブ 投球回20.2 奪三振11 防御率4.79
2010年 19試合 1勝 1敗 0セーブ 投球回24.2 奪三振22 防御率4.01
2011年 28試合 0勝 1敗 2セーブ 投球回30.1 奪三振20 防御率2.67

阪神在籍時の2軍の成績だがズバ向けたモノはない(むしろ1軍の成績のほうがよいくらい)。高校時代、近鉄時代はもっと勢いのあるいいストレートを投げていたと思うのだが、肘のケガでもあったのだろうか?