でぶぶの考察シリーズ|三国志テキトー軍事人物批評
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三国志テキトー軍事人物批評とは?
■管理人でぶぶが三国志の英雄たちについて軍事的観点から批評するコーナーである。ちなみに管理人の知識は、横山光輝三国志、吉川英治三国志、北方謙三三国志、蒼天航路、正史三国志、光栄の三國志ゲームなどから広く浅く取得したものである。ゆえに歴史的に正確な軍事分析というよりは読み物として楽しんでいただければよいかと思う。
■また分かりやすさの観点から、各人物の「戦闘力」「戦術力」「戦略力」「統率力」「謀略力」をAからEの5段階で評価する。「戦闘力」は個人の武勇を指す、この時代は個の戦闘力が勝敗を左右することも時として起こった(現代の会戦においてはほぼ関係ないであろう)。戦闘力に秀でるのはイメージ通り、呂布や張飛などである。「戦術力」は狭義の戦場での軍の進退能力を指す、総司令官というより一部隊の指揮官に求められるものだ。「戦術力」に関しては張遼、呂布など大軍の指揮官ではなく一部隊の指揮官として活躍した人物をイメージしていただくとよいと思う。「戦略力」は戦術より大きな次元、会戦ではなく一つの戦役をデザインできるような能力を指す。大軍の指揮官、総司令官などに必要な能力で諸葛亮、司馬懿、周瑜などいわゆる(司令官型の)軍師と呼ばれる人物があげられる。また、戦術と戦略の間に「作戦」という概念もあるようだが、そこまで小分けするとややこしいし、私も訳が分からなくなるので省略した。「統率力」は武将・兵士らを掌握する能力である、人望やカリスマ性と言い換えてもよいかもしれない。統率力が高ければ武将は簡単に裏切らないし、兵士は劣勢の戦でも離散しにくい(離散してもすぐ戻ってくる)。ただし、統率力が高くても戦が上手いとは限らない、統率力が高い武将で言えば曹操は戦の天才であるし、劉備は戦下手である。「謀略力」は戦争前後における情報戦である、偽情報を流してみたり、相手武将を寝返らせたりする(三國志ゲームをされた方は、偽報、駆虎、寝返、流言などの計略コマンドをイメージされたし)。カクや程イクなどの曹操軍師軍団は謀略力に優れた武将が多いイメージだ。
■さて能書きはこれくらいにして各武将の批評にうつろう。なお、管理人の知識は偏っており、偏見と好みで批評しているので、愛する武将がけなされていても激怒しないように。
テキトー人物批評その1 劉備 玄徳
聖人君子ではなく戦闘狂の大猿でムービースター
戦闘力 | 戦術力 | 戦略力 | 統率力 | 謀略力 |
---|---|---|---|---|
B | C | D | A | E |
<でぶぶコメント>
■三国時代を大いに惑わした三国志前半の主人公(曹操が主人公という説もある)である。三国志演義や横山光輝三国志では目に憂いを帯びたイケメン青年で正義の味方という風であるが、実態はどうだろうか。実際にはヤクザ(又は半グレ)集団の親玉で、むしろ売りを隠れ蓑に違法行為(賭博・殺人・強盗など)を繰り返していた疑惑もある(私はそっちのほうが現実の劉備像に近いと思う。エセ聖人の劉備サマよりそんな劉備サマの方がステキである)。世説新語の裴潜の「中原にいたら、人を乱すことはできても、治めることはできないでしょう。だが、辺境にいて、要害を守るのでしたら、一方のあるじになれるでしょう」という劉備評がなかなか妥当なところではないかと思う。
戦闘力
関羽・張飛という三国志の二大名物モンスターに囲まれているのであまり目立たないが相当な腕っ節だったと思われる。負け戦の多い小勢力で最後まで生き延びたのであるから数多くの修羅場を己の力で突破してきたはずである。そもそも正史に書かれている容貌がやばすぎるではないか!「身の丈七尺五寸、手を下げると膝にまでとどき、ふり返ると自分の耳を見ることができた・・・」巨大な猿、いやオラウータンである。狂った巨大オラウータンが騎乗し、両手に剣(雌雄一対の名剣)を持った状態で突っ込んでくれば皆逃げ去るであろう。もしかすると関羽と張飛も劉備の異相にビビって(惚れて)手下(兄弟)になったのかもしれない。
戦術力
大軍の指揮官としてはともかく小部隊の指揮官としては並程度の能力はあったと思われる。本人が部隊の指揮をとっている時代(赤壁前後までか)でも勝ったり負けたりではあるから、まるっきり無能とは言えまい。ただ、さして優秀でもない。
戦略力
軍師軍団(徐庶、諸葛亮、?統、法正など)を得るまでの間は、領土を得ては失いを繰り返しており長期的な展望はなかった。刹那刹那を精一杯生きる(昔の)ヤクザである。大軍を率いて本人が主体的な指揮を執ったと思われる夷陵の戦いでは、軍隊を壊滅させており軍の総司令官としては無能であろう。劉備には優秀な参謀が必要不可欠である。
統率力
人を統率する器量(だけ)には恵まれており、配下に人材が集まり、(何故か)民衆にも好かれた。理屈がどう、というより一種のムービースター・ロックスター的な人物だったと思われる。やはり劉備本人が率いてこその蜀軍であり、本人がご本尊として(余計なことをせずに)鎮座し、優秀な参謀・将軍が実戦の指揮をとれば圧倒的な存在感を放ち、軍も引き締まる。なお、本人が直接気ままに指揮をとれば非常にヤバい事態になる。
謀略力
別段聖人君子というわけでもないが、自身の発想による謀略は用いない(せいぜいできても猿芝居程度であろう)。単にアホなのか、謀略が嫌いなのかよく分からないが、そのあたりがムービースター的な人気の秘密なのかもしれない。ちなみに相手からの謀略にはかかかりやすい。
■さて、とりあえず劉備について書いてみたのだが、あまりまとまらない内容になってしまった。書いている時は意外と楽しいのだが、サイトにアップする作業や校正は面倒くさい。この三国志人物批評シリーズがシリーズ化され、次の記事が出るかどうかは、まだ謎である。もしこの記事を楽しんで読んでくれた奇特な方がおられたら気長にお持ちいただきたし。