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三国志テキトー軍事人物批評とは?

■管理人でぶぶが三国志の英雄たちについて軍事的観点から批評するコーナーである。ちなみに管理人の知識は、横山光輝三国志、吉川英治三国志、北方謙三三国志、蒼天航路、正史三國志、光栄の三國志ゲームなどから広く浅く取得したものである。ゆえに歴史的に正確な軍事分析というよりは読み物として楽しんでいただければよいかと思う。

■なお、過去記事は以下の通り

三国志軍事的人物批評・劉備


テキトー人物批評その2 関羽 雲長


軍神というより武神、名将というより英雄


 
戦闘力 戦術力 戦略力 統率力 謀略力


<でぶぶコメント>

■三国志屈指の知名度を誇る劉備の義弟。その活躍は周知の通りで、その武勇(呂布、関羽、張飛が三国志武勇三本柱だと思う)、その知性(隣にいる張飛がアホだからかなり賢く見える)、その忠義(劉備大好き)、その気高さ(傲慢とも言う)で圧倒的な存在感を放つ。天下の人材コレクター曹操が喉から手が出るほど欲しかった武将でもある。私もコーエーの三国志ゲームで統率力100(100がマックス)の関羽を見て「関羽って一騎打ちも強い上に、統率力も高いし(ついでに知力と魅力もなかなか高い)、三国志屈指の名将やないか」という思いを強くしたものである。だが、色々な三国志本を読んでいくうちに「あれっ、こんなに凄い名将関羽がいるのに何で劉備は負け続けなんや?てか関羽ほとんど一騎打ちしかしてなくね?」という素朴な疑問が湧いてきたのであった。果たして天下の英雄関羽の軍事的能力は一体いかがなものであったのだろうか?

■まず「戦闘力」については文句がないであろう。華雄や顔良といった天下に名の知れた武将を討ち取り、千里行では曹操配下の武将どもを(無意味・無造作に)蹴散らすなど、ちょっと他の武将たちと比べても格が違う感じである。ご本人は「張飛のほうが強い」とおっしゃっているが、武勇の格(謎の日本語)は関羽の方が上だと思う。「戦術力」に関してはどうか、一般的な見方としては非常に優れているように思われるが、個人的には「そこまで戦術能力はなかったのではないか」と見る。そもそも、関羽に圧倒的な戦術力があれば、劉備軍があそこまで敗戦を繰り返すことはなかったのではないか(荊州に落ち着くまでの間の劉備軍の指揮・作戦は劉備と関羽が中心だったと思う)、それに関羽が軍を指揮しているイメージがあまりないのである(張飛並に一騎打ちばかりしているイメージである)。関羽が本格的に軍の指揮をとり戦術行動をとったのは荊州総督としての北上作戦ではないか。序盤こそれなりの戦術の冴えを見せ于禁率いる七軍を壊滅させるが、結局襄陽城は抜けず、援軍を引き連れてきた徐晃とはにらみ合い戦線を膠着させてしまう。これらから考えるに関羽は特別に優れた戦術能力は有していなかったと考えられる(もちろん特別に優れていないだけで、そこそこの戦術能力はある)。

■「戦略力」については、あまりなかったと言わざるを得ない。荊州総督として呉(孫権)とは(たとえ上辺だけでも)仲良くやっていかなければならないのに、その傲慢さから意味なく孫権を挑発したり(まあ関羽ファンからしたら、そのあたりの関羽の誇り高さが大好きなんだろうが・・)、呂蒙の仮病にひっかかったり、陸遜をなめまくったり、兵站・留守居を軽視し信頼できない部下(ビ芳とか)に留守を任せて本拠地を乗っ取られたりと踏んだり蹴ったりである。とても戦略力があったとは思えない。ただ、関羽ファンから「関羽以外に荊州総督が務まる人物がいたのか?」と問われると当時の蜀には関羽以上の適任者がいなかったとも言える。あえて言うなら諸葛亮なら関羽以上に務めたと思うが、新生蜀の内政トップとしては本拠地を離れることは難しかったであろう。張飛、趙雲、魏延らは勇者ではあるが所詮は一部隊の指揮官に過ぎず、馬超は大軍を指揮したことはあるものの己の武辺に頼りすぎ大軍を崩壊させている。法正、馬良らも優秀な文官ではるが一方面を指揮するほどの格や器はあるまい。結局関羽に戦略力が重視される地位を任さざるを得なかった蜀軍の人材の層の薄さが問題であろう。

■「統率力」に関しては「ある」とも言えるし「ない」とも言える。その武名は乱世にとどろき、その異相と相まって一種独特な強烈な魅力を発している。その魅力にやられてしまった人間たちは関羽を神のごとく崇め絶対的な忠誠を誓う(周倉とか胡班とか王甫とかリョウ化とか所謂関羽ファミリーの面々。忠誠は誓ってないが曹操も関羽の魅力にやられて関羽マニアに)。ただ、凄まじく癖のある誇り高い(傲岸不遜ともいう)性格であるゆえ、馴染めない人間は全く馴染めなず、関羽も歩み寄るような性格ではないゆえ溝は深まるばかり(ビ芳たちは裏切るし、孟達たちは助けに来ないし・・・そのあたりが関羽滅亡の遠因ともなる)。分かりにくい言い方だが独特な統率力はあったものの、普遍的な意味での統率力はなかった、と言うべきか。

■「謀略力」に関しては、春秋左氏伝を暗唱するなど決してアホではないが、(関羽独特のゆがんだ)正義の信奉者であり基本的に謀略は好まない。よって荊州総督のような大権を与えられた時代には優秀な参謀が必要だったのだろうが、ホウ統や法正の早すぎる死によって蜀において軍師不足が発生しており、関羽の補佐にまわせるだけの人材がいなかった。ホウ統、法正、諸葛亮のいずれかが関羽を補佐していればあのような無残な敗北はなかったのではなかろうか(軍師の進言を無視する可能性も大いにあるが、そこは触れてはいけない)。

■関羽は武神ではあったが軍神ではなかった、英雄ではあったが名将ではなかった、というあたりの評価が妥当だと思う。

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